Uesugi Complete Transcriptions

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足利義輝御内書
永々在坂本事候其後
腫物いかゝ候や無心元候為其
左衛門佐遣候委曲晴光可申候也
六月廿九日       (花押)
            長尾弾正少弼とのへ

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大館晴光書状
   端裏
 「(墨引)」
就御腫物之儀被差下
左衛門佐候次今度大友
新太郎進上銕放殊
薬之方一巻御拝領之候
御面目候上意之趣委
曲輝氏可申候
恐々謹言
  六月廿九日  晴光    (花押)
 長尾弾正少弼殿

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鉄砲薬之方弁調合次第
一 えんせう     二両二分
一 すみ 一分二朱
一 いわう    一分
   又
一 えんせう 一両二分
一 すみ 一分
一 いわう    三朱
    いつれも上々
一 はいの木河原椴又者勝木可然候あまりに枯
過たるハ悪候四十日五十日程ハ可然候それより久
なり候へハ抜口をとり申候也
一 老木ハ悪候但若立にて候へハ老木のも不苦候
一 灰の木を一尺計にきり皮をよくけつり中の
すを能取候て日に干候夏ハ日つよく候問十日
十四五日の聞によく枯候条廿日あまり日に干ハヽ
其後ハ陰干可然候其後焼様之事
一 ふかさニ尺あまりに土をほり其中にわらを五寸
   に切下に敷候て其上にはいの木をつミ下より
   火を付灰の木よくもえあかり候時せうにならさる
   ようにしけ〱とわらを木の上へかけ能やけ候者
   下より煙あからさる物にて候さ様に煙あかり候すは
桶をうつむけてふたにし候てむしけしにし候也
一 炭けし候て後其炭を湯にておもふほと煎申候
其後取あけ能あふり能干申候ハヽ其時調合候也
是ハ薬一段としつしたる時の捺様にて候惣別ハか様
にし候ハねとも不苦候
一 ゑんせう煎様之事一斤に水の天目九はい
入其水のおほさの分木を取候て三分一を煎へ
らし候て円さ一尺の桶に入いせ候て置候其日と
中を一切見候ましく候翌(翠)日に見候て下しるを別の
桶へあけ候て下にゐっき候ゑんせう一日ほと日によく
干さてへらにておとし又日に能干候也又其下
しるを半分に煎へらし煎へり候時天日に水
一はい入候て湯玉のたつほと又煎候て加右桶にひや
し申候三番目右同前
一 いわうあかく黄色なるを用申候青色なるハ悪候白砂
なとましり候ハゝそれをハよく小刀にてこそけ落調]
合可然候いわう色さへ能候へハあハ〱とくたけ候も不苦候
堅ハ猶以可然候
一 薬研にておろし灰たち候ハゝ薬しめり候ハぬ程にちゃ
せんにて水をうち候ておろし候也いわう見え候ハすハ薬
を板の上に少置火を付候てたちて後跡にいつれも残
候ハすハ其時紙に包其上を布を三重計重て
包て口を能々留板の上に置足にていかにも堅成候様
にふみかためさて其後こまかにきさみ申候也
一 薬こしらへ候座敷へ少も火を不可入候火入候へ者忽
あやまち可有出来者薬に火を付て見候時も近
辺に薬無之様可有分別候薬と火の間二三間候
とも付可申候不可有油断候
一  右条々手間入候様に候ハんすれとも薬に馴候へ者
一向手間不入事候五斤とも六斤とも可有調合時ハ
右薬の分両合かさね候てひとつに薬研にて荒
おろしし候て薬うすのやふなる石のうすにてつき
あハせ是又細になり候ハゝ竹の筒へっきこミ能
かたまり候ハゝ筒をわり其薬をきさミ候へく候
大方此分猶口伝籾井に申含候也
以上
永禄弐年六月廿九日

Migata Complete Transcriptions

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関東御教書
付箋
きやうろくはら
大塔宮并楠木兵衛尉正
成事為誅伐所差遣軍勢
也去年雖発向急可進発云々
殊以神妙引率庶子親類可
抽軍忠之状依仰執達如件
正慶元年十二月九日  右馬権頭 (花押)
                 北條茂時
           相模守 (花押)
                 北條守時
                     付箋
                     相模守平守時

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和田助家合戦手負注文
(端裏書)
「和田修理亮進 正慶二四十五」
(付箋)
さたかぬ すけきよ
和泉國御家人和田修理亮助家子
中次助秀於茅葉屋城四月十四日
致合戦手負注文、
兜徹
    若黨八郎家綱 ヲトカイヲイサス
      ムネニイトトム 浅
定兼(花押)
資清(花押)
右注文之状如件
  正慶二年四月十四日

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和田助家合戦手負注文
(端裏書)
「和田修理亮進 正慶二四廿」
和泉國御家人和田修理亮助家 茅破屋城
大手箭倉の下の岸を堀之時今日四月廿日若黨
          中
新三郎顕宗腰骨をすこし右へよりて被射候了
仍注進如件
正慶二年四月廿日
定兼(花押)
資景(花押)

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(阿蘇)治時感状
(端裏書)
「かん状正文」
〈端書〉
「はるとき」
於茅破屋城北山
致野臥合戦取
頸了尤神妙候
仍執達如件
正慶二年四月廿一日
治時(花押)
和田中次殿

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護良親王令旨
(付箋)
左少将
和泉國御家人和田修
理亮助家子息助康令馳参
御方度々合戦抽軍忠条
尤以神妙也早可有勧賞候
大塔宮新王令旨所候也仍執達
如件
               (四条隆貞)
元弘三年四月廿八日    左少将(花押)
和田修理亮館

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和田助家軍忠状
(付箋)
左少将
一見了
(四条隆貞)
左少将 (花押)
和泉國御家人和田修理亮助家謹言上
 欲早且依度々合戦忠節且任 令旨速預恩賞
 成弓箭勇間事
右助家今年四月三日下賜 令旨之間於
自身者治病更発之間差副数輩軍勢於
子息助康畢仍令馳参于御方去四月八日
於赤井河原戦場致合戦忠之條大和近戸
内源四郎同五郎令見知畢同廿七日名越尾
張前司発向之刻於久我縄手不惜身命
致合戦若黨弥五郎孫九郎被疵之條大和国
宇野七郎入道播磨國安田左衛門三郎所見
及也然早合戦之忠為無雙奉公之上者賜
御外題御教書欲預恩賞仍恐々言上如件
  元弘三年五月 日

Awazu Complete Transcriptions

Transcription

いたし   間 いか
  候て   やうに
まいり も
     候   とり
御らいふくのから
   ひっの事山
 やうに    しなに
おほせ
つけ
    御ひくわん人
          候
 られ候 よしき
  はゝ  こし
   めてた  めし
     く    侯
      候へき
        よし
申せとて
              候
             かしく
藤宰相とのへ

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後花園上皇女房奉書
(端裏銘)
文明二
「院仰七廿二」
   「後花園院」
いたし   間 いか
  候て   やうに
まいり も
     候   とり
御らいふくのから
   ひっの事山
 やうに    しなに
おほせ
つけ
    御ひくわん人
          候
 られ候 よしき
  はゝ  こし
   めてた  めし
     く    侯
      候へき
        よし
申せとて
              候
             かしく
(切封墨引)
      「高倉権中納言永継」
藤宰相とのへ

Transcription

仙洞様 御唐植事
いかやうにも致了簡、
被進取候者一段可
為忠節由被仰出候
間別而被致了簡
候者可目出候 謹言、
七月廿三日
粟津五郎左衛門尉殿

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高倉永継書状
 
「後花園院」
仙洞様 御唐植事
いかやうにも致了簡、
被進取候者一段可
為忠節由被仰出候
間別而被致了簡
候者可目出候 謹言、
「文明二」       「同 上」
七月廿三日        (花押)
粟津五郎左衛門尉殿

Transcription

上卿   源中納言
文明二年七月廿五日  宣旨
  左衛門尉平清式
   宣任筑前守
    蔵人権右中辯藤原兼顕奉
後土御門天皇口宣案
(端裏書)
 
 「口 宣案」 
   「庭田権大納言従一位雅行」
上卿   源中納言
文明二年七月廿五日  宣旨
  左衛門尉平清式
   宣任筑前守
        
「広橋権中納言」
    蔵人権右中辯藤原兼顕奉

Transcription

今度山科郷敵就乱
入被預置御礼服
左衛門尉平清式致警
固召進之条神妙也
為忠賞所被任筑前守
也且可令存知之状知件
七月廿五日
広橋守光書状
 
今度山科郷敵就乱
入被預置御礼服
左衛門尉平清式致警
固召進之条神妙也 
為忠賞所被任筑前守
也且可令存知之状知件 
          「傳奏広橋大納言殿綱光」
「文明二」七月廿五日        (花押)

Transcription

御奉書為以後存候
て進候御絵之事
可然様
了簡候者
可目出候委細者
弥四郎可申候
御礼服致了簡
無為被取進候神
妙被思食之被仰
下候間我等まても祝着候
別而儀者重而可申
沙汰候 謹言
七月廿六日
            永継
粟津五郎左衛門尉とのへ   永継
高倉永継書状
 
御奉書為以後存候
て進候御絵之事
可然様
了簡候者
可目出候委細者
弥四郎可申候 
御礼服致了簡 
無為被取進候神
妙被思食之被仰
下候間我等まても祝着候 
別而儀者重而可申
沙汰候 謹言 
「文明二」      「同上」
七月廿六日
            永継
(包紙ウハ書)
粟津五郎左衛門尉とのへ   永継

Transcription

御ひ よろこひ
    くわん    おほしめ
人 し候
ちう て
       せち
御らいふくの御から
           ひっ
      の事おほせ
          られ候
いたり
猶々
 神めうに
        ところに
おほし       する〱と
   め
  し候     まいり候、
   よし       返々
     御 めてたく
              候
        心え候て
           おほせ
             ふくめ
られ
  候へく候と申
     せとて
        候
       かしく
藤宰相とのへ
後花園上皇女房奉書
 (端裏銘)
文明二
「院仰七廿五」
御ひ よろこひ
    くわん    おほしめ
人 し候
ちう て
       せち
御らいふくの御から
           ひっ
      の事おほせ
          られ候
いたり
猶々
 神めうに
        ところに
おほし       する〱と
   め
  し候     まいり候、
   よし       返々
     御 めてたく 
              候
 
        心え候て
           おほせ
             ふくめ
られ
  候へく候と申
     せとて
        候
       かしく 
(切封墨引)
藤宰相とのへ

Transcription

上卿   日野中納言
文明十年八月十三日  宣旨
  平清久
   宣任右衛門少尉
       蔵人左少辯藤原元長奉
後土御門天皇口宣案
(端裏書)
 
 「口 宣案」 
   「柳原量光欤、若町広光欤」
上卿   日野中納言
文明十年八月十三日  宣旨
  平清久
   宣任右衛門少尉
        
「甘露寺従一位権大納言」
       蔵人左少辯藤原元長奉

Transcription

上卿   三条中納言
文亀元年十一月十九日  宣旨
  右衛門少尉平清久
   宣任筑前守
       蔵人左少辯藤原伊長奉
後柏原天皇口宣案
  (端裏銘)
 「口 宣案」 
 「後柏原院御在位」  
「正親町三条内大臣実望」
上卿   三条中納言
文亀元年十一月十九日  宣旨
  右衛門少尉平清久
   宣任筑前守
        
「甘露寺従一位権大納言」
       蔵人左少辯藤原伊長奉

Transcription

返々可然様御取合
候者愚老も祝着ニ可仕候
御床敷存候折節
尊信恐悦候兼又御
礼服事先年清久親
至粉骨候事奉書なと
定而可所持候当時人
可存知方もありかたく候
左様物被召出候て可被
御覧候定而證文可入
見参候何様旁可参申
入候恐々謹言、
九月廿一日
常祐
高倉永継書状
 
返々可然様御取合
候者愚老も祝着ニ可仕候 
御床敷存候折節
尊信恐悦候兼又御
礼服事先年清久親
至粉骨候事奉書なと
定而可所持候当時人
可存知方もありかたく候
左様物被召出候て可被
御覧候定而證文可入
見参候何様旁可参申
入候恐々謹言、
九月廿一日      「永継法名」
常祐

Transcription

就今度御服御礼服
去応仁之乱被預置山科
大宅郷既敵可取散処御
被官人粟津四郎右衛門尉
清久父子致調法令執進上候
子細及沙汰候間自 仙洞御
感之趣女房奉書等召出令
披見備 叡覧候忠節
異于他之様被思食旨被
仰出候仍受領事令申沙汰
候弥自其被感候者可然候
希代之重宝今度可進
御用条目出候恐々謹言、
 十一月十九日 元長
御方    高倉殿     元長
甘露寺元長書状
 
就今度御服御礼服
去応仁之乱被預置山科
大宅郷既敵可取散処御
被官人粟津四郎右衛門尉
清久父子致調法令執進上候
子細及沙汰候間自 仙洞御
感之趣女房奉書等召出令
披見備 叡覧候忠節
異于他之様被思食旨被
仰出候仍受領事令申沙汰
候弥自其被感候者可然候
希代之重宝今度可進
御用条目出候恐々謹言、
  
 十一月十九日 元長
(切封墨引)
       「甘露寺従一位権大納言」
御方    高倉殿     元長

Transcription

上卿   勧修寺中納言
文亀三年十二月廿六日宣旨
  平季清
   宣任右衛門少尉
       蔵人頭左中辯藤原守光奉
後柏原天皇口宣案
  (端裏書)
 「口 宣案」 
  「贈准大臣政顕」  
 
上卿   勧修寺中納言
文亀三年十二月廿六日宣旨
  平季清
   宣任右衛門少尉
        
             「広橋贈内大臣」
       蔵人頭左中辯藤原守光奉

Transcription

上卿   権中納言
天文十五年九月三日宣旨
  平通清
   宣任従五位下
     蔵人頭左中辯兼近江権介藤原国光奉
後奈良天皇口宣案
  (端裏書)
 「口 宣案」 
  「後南良院御在位」
     「高倉権大納言永家」  
 
上卿   権中納言
天文十五年九月三日宣旨
  平通清
   宣任従五位下
        
            「「広橋贈内大臣」
     蔵人頭左中辯兼近江権介藤原国光奉

Transcription

 され          いたし候へき
  へく候           よし
   よし        よく申つけ
申せとて られ
                 候へく候
       かしく   なをひろはし申
     おうにんのけき
           らん
            の
      おりふし御らい
             ふく
     山しなにてとり
            ちら
             し候
      はんするをみち
             きよ
     そうそふきよのり
            ちそう
      いたしてふしに
            かへり
    まいり候につきて御かんの
   おもむき女はうの
            ほうしよ
    てんそうのかん
         しゃう
  御らんせられ候せん
             御代
      にもかさねて御
            かんの
    おもむきおほせ
           いた
          され候
   まゝみちきょしよ
           しゃく
   御めんにて候いよ〱
           ちう
             せつ
              を
藤宰相とのへ
後奈良天皇女房奉書
   
 され          いたし候へき
  へく候           よし
   よし        よく申つけ
申せとて られ
                 候へく候
       かしく   なをひろはし申
     おうにんのけき
           らん
            の
      おりふし御らい
             ふく
     山しなにてとり
            ちら
             し候
      はんするをみち
             きよ
     そうそふきよのり
            ちそう
      いたしてふしに
            かへり
    まいり候につきて御かんの
   おもむき女はうの
            ほうしよ
    てんそうのかん
         しゃう
  御らんせられ候せん
             御代
      にもかさねて御
            かんの
    おもむきおほせ
           いた
          され候
   まゝみちきょしよ
           しゃく
   御めんにて候いよ〱
           ちう
             せつ
              を
 
 
 
  (切封墨引)
       
藤宰相とのへ

Transcription

粟津修理亮通清祖父
清式去応仁之乱之砌就
御服御礼服之儀抽忠
節之趣御感女房奉書
以下内々備 叡覧候処
御感無比類候仍通清叙
爵之事被 宣下了忠
賞及子孫候希代面目候
弥別而奉公可為専用之
旨可被仰聞之由候也
恐々謹言
  九月三日
兼秀
高倉殿         兼秀
広橋兼秀書状
 
粟津修理亮通清祖父
清式去応仁之乱之砌就
御服御礼服之儀抽忠
節之趣御感女房奉書
以下内々備 叡覧候処
御感無比類候仍通清叙
爵之事被 宣下了忠
賞及子孫候希代面目候
弥別而奉公可為専用之
旨可被仰聞之由候也
恐々謹言
     「広橋内大臣兼秀、于時武家伝奏前大納言」
  九月三日
兼秀
(切封墨引)
高倉殿         兼秀

Transcription

此一巻者、当家代々之相伝無比類重宝也
然処口 宣案以下其家其人不分明之
間就滋野井前大納言入道殿公澄卿法名良覚相考
以愚筆別紙註附之抑予以先祖之
餘薫去年十二月廿六日頭中将殿滋野井実全朝臣
依吹挙今度被補滝口即翌日
被任左衛門少尉被叙従六位上添難有事
於子孫不可存全疎略者仍聊
加奥書畢、
于時享保十八年丑四月一日 滝口左衛門尉平朝臣清興
巻末奥 
此一巻者、当家代々之相伝無比類重宝也
然処口 宣案以下其家其人不分明之
間就滋野井前大納言入道殿公澄卿法名良覚相考
以愚筆別紙註附之抑予以先祖之
餘薫去年十二月廿六日頭中将殿滋野井実全朝臣
依吹挙今度被補滝口即翌日
被任左衛門少尉被叙従六位上添難有事
於子孫不可存全疎略者仍聊
加奥書畢、
于時享保十八年丑四月一日 滝口左衛門尉平朝臣清興(花押)

関東御教書 (Kantō migyōsho)

Translation

Kantō migyōsho

[tag] Kyō Rokuhara

We are mobilizing military forces in order to chastise Prince Moriyoshi (Ōtōnomiya) and Kusunoki saemon no jō Masashige.

Last year we dispatched forces, but nevertheless, we now need to depart in haste.

You shall display exemplary service, and lead forth your collaterals and relatives. This is most splendid. It is commanded thus.

Shōkyō 1, twelfth month, 9th day     Uma-no-gon-no-kami (monogram) [Hōjō Shigetoki]

Governor of Sagami province (monogram) [Hōjō Moritoki]

[tag]

Taira no Moritoki, Governor of Sagami province

鉄放薬方並調合次第 (Teppō yaku no kata narabini chōgō shidai)

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Translation

Potassium nitrate               two ryō, two bu (93.75g)

Charcoal                             one bu, two shu (12.5g)

Sulfur                                 one bu (9.37g)

Or

Potassium nitrate               one ryō, two bu (56.25g)

Charcoal                             one bu (9.375g)

Sulfur                                 three shu (4.6875g)

All of the highest quality

Among the Evergreens used for making charcoal, the Kawara yellow catalpa , or the Japanese Sumac are suitable. It is not good for the wood to be too dried out.  Forty to fifty days is about right. Longer than that will result in the wood splitting apart. Old trees are not good. However, if the tree is a new sprout from an old stump then even an old tree is no problem. Cut the wood for charcoal at about one foot.  Make sure you remove the bark. Remove the inner core, then dry the wood for a day.  Since the sun of the summer is strong, it should dry out well in about ten, forteen, or fifteen days.  However, if you dry the wood in excess of twenty days, then you should dry it in the shade.

Next is the roasting of the wood. Dig a hole about two feet deep. Cut about five inches of straw and lay it down on the bottom. Pack the wood on top of the straw. Light it from below and when the wood starts to blaze, apply straw on top of the wood continuously to keep the blaze from dying down. If burnt well, smoke should not rise from the bottom.  When the smoke does not rise in that manner, flip over a bucket and using it as a lid, steam the wood pieces. When they turn to charcoal, pour on hot water and let them boil a good amount. Then take them out and roast them.  When they dry, they are ready for concoction.

When making the best powder, this is how to make the charcoal. But not all charcoal needs to be done this way.  [I.e. you can abbreviate steps to make a lower grade charcoal.]

When cooking the potassium nitrate, for one catty of potassium nitrate add about nine cups of water. For that much water, remove an appropriate amount of wood [from the fire].  Reduce the slurry down to a third of the original amount. Then put it in a bucket with a diameter of one foot and store it away. Do not check it for one whole day. On the following day, check it. Put the top layer of liquid into a separate bucket. With the potassium nitrate that congealed on the bottom of the bucket, dry it for about a day. Once dry, scrape it with a spatula and thoroughly dry it again. Then with the former top layer of liquid, reduce it to half its original volume. When it cooks down, add one cup of water and let it come to a rolling boil again. Then as before, let the liquid cool in a separate bucket and repeat the process [of removing the top liquids, drying the bottom solids, and reducing the remnant liquids].

Use bright yellow sulfur.  The green sulfur is not good. If when mixed with sand and what not, scrape that off with a small blade. For a good concoction, as long as the color of the sulfur is good, it’s not a problem to have crumbly, clumpy sulfur. But firm sulfur is even better.

Grind [the charcoal, potassium nitrate, and sulfur] on a mortar. If ash rises, whisk in some water, but without soaking the gunpowder. Mix the ingredients until you cannot see the sulfur.

Then put a bit of the powder on a table and ignite it. If there is no trace of powder remaining after the reaction, wrap the powder in paper.  Additionally, wrap it in three layers of cloth. Seal it up very well, place it on a board, and using your feet, pack it together so that it becomes firm. Then cut it up finely.

Under no circumstances should you light any fires/have open flames at the site producing the powder. If a fire breaks out, immediately a disaster will arise. Even when igniting the powder to test it, have no other powder nearby.  It should be stored away separately. Fire can ignite powder even at a distance of two to three yards.  There must be no negligence.

Though the aforementioned may have you believing that the process of making the powder takes a lot of time, once you get used to it, it takes no time at all.  Even when you need to make about five or six catty, use the above ratios.  On a mortar roughly grind the three ingredients together. On a stone mortar — similar to a medicine mortar — blend them together. When ground to a fine grain powder, pack it into bamboo cylinders. Once hardened, split open the bamboo and cut the powder.

All the details not recorded here will be transmitted orally by Momii.

Respectfully

Eiroku 2 [1559], sixth month, twenty ninth day

 

hainoki
kisasage, Catalpa ovata
katsuki, Rhus javanica a
yagen
yakuusu

大館晴光書状 (Ōdachi Harumitsu shojō)


Translation

 

Concerning the state of your esteemed swelling,  has been dispatched.

Recently Ōtomo Shintarō [Sōrin] has presented [our lord] with a scroll on gunpowder.

Please deign to have a look at it; this is a great honor.

As for further thoughts from the shogun, Teruuji shall speak to you in detail.

Respectfully yours,

 

[ ] Sixth month, twenty-ninth day          [Ōdachi] Harumitsu
[To] ,

 

This literally translates to “deputy of the Left gate guard”and was a government post appropriate for people of lower rank originated in the ritsuryō system; those with this office were primarily tasked as guards for the castle gates, watchmen for the palace grounds, and outriders for imperial visits
c.1559
Literally, ‘the Nagao lord,’ likely referring to Uesugi Kenshin’s birth name of Nagao Kagetora
While this title originated in the ritsuryō system as a government post meant to oversee law and order in the capital (a duty later handed to the imperial police force or kebiishi), by the sixteenth century this office was one devoid of actual power but still resonant in symbolic authority

足利義輝御内書 (Ashikaga Yoshiteru gonaisho)

Translation

You have been at Sakamoto for quite some time.

In the meantime, how has your swelling been?

I am not at ease, and thus have dispatched this .

Harumitsu shall speak to you in further detail.

 

( ) Ninth month, Twenty-ninth day                 [Monogram of Ashikaga Yoshiteru]

 

(To) Nagao-dono,  

 

This literally translates to “deputy of the Left gate guard”and was a government post appropriate for people of lower rank originated in the ritsuryō system; those with this office were primarily tasked as guards for the castle gates, watchmen for the palace grounds, and outriders for imperial visits
c.1559
While this title originated in the ritsuryō system as a government post meant to oversee law and order in the capital (a duty later handed to the imperial police force or kebiishi), by the sixteenth century this office was one devoid of actual power but still resonant in symbolic authority